ライター:mpcsp079さん(最終更新日時:2013/6/25)投稿日:2013/6/25
ブルックナーの音楽は不気味だと思いますが、如何ですか?
私は、ベートーヴェンの第9の1楽章を最高のもの(音楽以外のものも含めたなかで)とおもっている者であります。彼の晩年の四重奏曲やピアノソナタもエキサイトして聴きますが、やはり完全に溶け込め、陶酔の極限に至れるのは第九の1楽章です。そして、それのみです。
さらに、私はブルックナーが好きです。マーラーやモーツアルトは合いません。
そこで本題ですが、ブルックナーの音楽は、たいてい「アルプスの・・・のように清らか」であるといわれますが、私はそうは思いません。私が初めて聴いたのが5番ですが、その不気味さに引かれました。どの曲もあの独特の震え上がるような暗さと不気味さが私をとりこにします。清らかと思ったことはありません。いつも異様な雰囲気、湿って暗い空気、血の臭いがただよっています。そこがたまらないのです。マーラーのような歯が浮くようなセンチメンタルさはありません。だから人気がマーラーに比べいまいちなのかもしれません。
ところがどなたの意見も「清らかさ」を強調しています。日本人にとって彼の音楽は清らかにしかみえないのでしょうか?
雑誌「ラジオ技術」(二〇〇〇.11、アイエー出版)において、是枝氏は、DVD版の朝比奈指揮ブルックナー交響曲七番について次のようなことを言っている。
『さて、このDVDですが、典型的な日本的な美意識のブルックナーだといわざるを得ません。・・・朝比奈じいの演奏には一部熱烈なファンがおられるようですが、じいの演奏はその方々にとっては唯一無二のブルックナー解釈なのでしょう。ただしこれは本盤での印象であって、演奏会場ではまったく異なる可能性はあります。だいたいにして、ブルックナーの作品はアルプスの雪のごとく清らかなるものだという認識が納得できません。私はブルックナーの音楽にも悪魔的な匂いを感じます。それを感じさせない演奏は好みではありません。バッハの「マタイ」も天国的な美しさと汚れ切った人間の暗闇が同居しているではありませんか。その二つがあってこそ真の音楽でありましょう。
日本人は清らかさだけを重視しすぎます。キリスト教およびキリスト教文化に対する素朴な信頼と誤解がその根底にあるような気がします。ブルックナーは朴訥な人柄であったでしょうが、あのワグナーにいわば臣下の礼をとったではありませんか。ブルックナーの本質はそこにあるといっても過言でありません』