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ベートーヴェンの後期ピアノソナタは深みがある

ベートーヴェンの後期ピアノソナタは深みがあるらしいですが深みって何を言います... - Yahoo!知恵袋

ID非公開さん

2024/3/28 0:03

7回答

ベートーヴェンの後期ピアノソナタは深みがあるらしいですが深みって何を言いますか? 言語化お願いします。

え? 「言語化」すか? 言語学者ソシュールによればシニファンとシニフィエの結付きは恣意的すよ?笑 「深み」は自分も使いますが、自分が使う意味なら回答を。 先ず言語には限界があると云う事。 恣意的でもあるし。 音楽を言語化してもしきれない部分が必ず残る。 ♫言葉にならない愛が歌になるのさ〜 ラララ〜♫ その分、言語にしか出来ない、音楽には出来ない事もある。 もちろん逆もまた真なりであって、音楽にしか出来ぬ事もある。 つまり「ラララ〜」は残る。 その上で「深み」とは「深い」つまり形容詞。 当然、反対は「浅い」。 形容詞は相対つまり主観。 風呂の43℃は絶対だが、「熱い」/「温い」は相対、主観。 人による。 結局「深み」とは、 「想像し得る以上のもの」 と、 「想像し得ないものの存在」 ではないだろうか? 少なくとも自分はその意味でその言葉を使っている。 自分は、 この作品は何故こうなのか? この演奏は何故こうなのか? を主眼に音楽を聴く。 想像するものはそれぞれ。 主観だけに(笑)。 奏者も聴者も。 興奮、緊張の場合もあるし、喜怒哀楽の感情の場合もある。 稀にみる諦観の場合もあるし、何らかの哲学の場合もある。 それは人それぞれ、奏者と聴者による。 音楽的な場合もあるだろうし、そうでない場合もある。 だから主観と書いた。 そしてそれは奏者や聴者の耳や能力、才能や頭脳の有無にもよる。 ま、その前に大前提として作曲家、作品によるが(笑)。 しかし「深み」のある音楽はさらに先にある。 想像したもの自体を十全に得られれば奏者も聴者も十分に満足する。 しかし、それ以上のものを感ぜられた時に人は「深み」を見出す。 自身の想像を超えているだけに。 たから何十年聴いても飽きない。 想像し得ないものの存在を感ずる場合もある。 全く気付かぬものがそこに確かにあると云う事。 それは感性である場合も、自然である場合も、哲学である場合も、キリスト者には神である場合もあるかも知れない。 まさに主観、まさに人それぞれである。 以下に例を挙げる。 ベートーヴェンなら、 https://youtu.be/OSe5XhylE-Q?si=aOvATTmxknluPQdO 上手いのではなく稀にみる諦観を感ずる。 何かあった時にはこの2楽章に戻ります。 稀にみる諦観が想像以上。 シュナーべルもやや重々しいが良い。 バックハウスはその意味でイマイチ。 グールドは若すぎる。 ブラームスのヴァイオリンソナタ3番2楽章がこの作品に次ぐ。 弦楽四重奏は詳しくない。 16番の開き直りと耳鳴りだけ(笑)。 バッハなら、 https://youtu.be/u_rGpRynUhM?si=3auciLgngzRfxkJC これは想像し得ないものの存在を感ずる。 何か深淵を示しているのではないだろうか? ブラームスなら、 https://youtu.be/ifpMALIMcCY?si=ZbarNXzElhOv9DUu 作品10。 若書きだが演奏の「深み」によって後期の趣を示す。 さらに枯渇した晩年より瑞々しい(笑)。 得意のおフラランスなら、 https://youtu.be/OYe3ndSFRJQ?si=JLoQBzQKtuj0njrG 人を悼む時に相応しい。 感情の抑制が却って悲しみを増す。 だが現実は変わらない。 想像を「超える」だけなら、 https://youtu.be/o90yGLWxyco?si=UIQuXqbXvGv_aok3&t=7m44s この超越。 フルトヴェングラー以上。 全部のテイク知らないが(笑)。 「深み」は皆無。 作品の所為?笑 で、高校以来、この指揮者にハマりました。 「深み」は音楽以外の何にでもある。 絵画、美術、文学、器、料理… 画像はムハ(ミュシャ)の晩年の素描。 素描でも色は健在。 特に胸の縦の白。 以上いかがですか?

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質問者2024/3/28 18:32

marくんありがとうございます いつも長文で申し訳ないんですが とくに大したこと書いてないんでしょうし、とりあえず動画は見ました。 ありがとうございます

 
 
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ID非公開さん

質問者2024/3/28 18:33

すみません 無理してないでくださいね

 
 

1.和音(とりわけ主和音)の鳴らし方の変化 ピアノの音域が拡大してかなり低い音が出せるようになったことと、バッハを学んだこと、歌曲への興味を深めたことで和音の構成音が変化して、中期に比較して密集した響きを避けるようになり、和声がすっきりと鳴る場面が圧倒的に増えています。これが「深みのある響き」につながります。 2.動機の聞かせ方の変化 これはバッハの影響が強い部分で、ポリフォニーを利用して時間差で動機を聞かせる楽章が増えました。音楽に時間軸変化の要素を導入すると、深みがあるように聞こえます。 以下に説明します。 まず1番目の和声について。 中期はピアノの音域が狭かったこともあり、たとえばIの和音を鳴らすときには低音域と中高音域のどちらでもドミソ(+ド)という形で鳴らすことが多いのです。とりわけ低音域のドミソ(長三度と短三度が並んだ和音)は狭い周波数域内に音が密集するので、鬱屈した響きになります。この響きを効果的に使ったのが月光ソナタや熱情ソナタですね。 後期になるとピアノの音域が拡大されるため、低音域はドソドという五度と四度で構成された和音を多用するようになります。低音域で三度を使うことが減るんです。このボトムの上に中音域や高音域で四度、五度、六度といった音程差が比較的大きなパッセージであったり、和音であれば第二転回形を多用します。第二転回形はソドミという音型で、耳につきやすい最高音部が四度になります。この結果、三度の多用による密集感がなくなり和音の響きがすっきりしますので、深みがあるように聞こえます。 また歌曲とバッハの影響で、細かくて速いドソミソ伴奏(アルベルティ・バス)や、和音の連打が減ります。これも響きをすっきりさせ音響的な見通しが良くなる効果があるので深みをもたらします。 ベートーヴェンは耳が不自由だったそうですが、低音域は聞き取れていた可能性が高いと考えています。 次に2番目について。 中期の月光ソナタはソドミという上昇するアルペジオの動機と、ドシラと音階的に下がる動機を並列的に扱う手法で2つの主題を鮮やかに対比させています。ワルトシュタインのフィナーレでは旋律・トリル・伴奏と3つの要素を同時に並べているので情報量(音符の量)が多くなります。音符をどんどん増やした結果、6連符を多用した熱情に行き着きます。しかしそこで行き止まってしまいます。ホモフォニックな書法での行き詰まりです。 しばらくして歌曲に興味をもち、歌曲的な要素が加わったピアノソナタを書きます。歌曲なので自然に伴奏の音符の量は減っていき、響きがすっきりとして来ると同時に「本当に必要な音」しか書かなくなっていくので深みが増していきます。 同時にバッハの影響が入ってカノン歌曲の試作を重ねながら、器楽へのポリフォニー導入を模索するようになります。この模索が一連の後期のピアノソナタになります。ポリフォニーであれば、少ない要素(動機)でも時間差で聞かせることで情報量を増やして深みを演出できるし、そのコントロールもしやすいということを実験しながら証明していったと思います。後期ソナタではフーガを用いた楽章がいくつかありますが、拡大や縮小の実験も行っているのがポイントですね。30番のフィナーレなどは途中でテーマ拡大して時間軸をうんと引き伸ばし、聞き手をじらしてからストレッタを経て元のフーガに戻ることで昂りを演出します。時間軸を伸ばしたり縮めたり、自在に操っているわけ。こういった時間の進み方すら変化させる技を駆使することで、いっそう深みを際立たせていったと感じます。

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質問者2024/3/28 14:52

別格ですね

 
 

和声の部分の説明が間違っていました。 >和音であれば第二転回形を多用します。第二転回形はソドミという音型で、耳につきやすい最高音部が四度になります。 これは正しくは「第一転回形」と「ミソドという音型」です。

 
 

創作能力が落ちていることから、美しい旋律を生み出すことができなくなったので、 やむなく抽象的な音楽を書くしかなかったということでしょう。 ベートーベンに限ったことではなく、 バッハも全く同様でした。 やはり健康の衰えが芸術の創造力を大きく損なうのは致し方ないことです。

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質問者2024/3/28 14:41

的を得ていると感じます

 
 

ベートーヴェンの時代は、ピアニストは居ませんでした。作曲して自分で演奏をする音楽家しか居なかったのです。つまり、ベートーヴェンの曲も自分が弾くことを前提に作曲されています。 若いころはやはり技巧を披露したい気持ちが強かったのでしょう。ピアノの演奏は運動なので年を取ると徐々に衰えます。技巧でガンガン攻めるのではない方法でお客さんが喜ぶことを考えて、和音の響きとか抑揚とかを工夫したことが「深み」と表現されているかと思います。

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質問者2024/3/28 14:41

大変ありがとうございます

 
 

あたかも広大で深淵な宇宙空間のような雰囲気を音の流れから感じとることができるという事かと思います。

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質問者2024/3/28 9:04

BAですね

 
 
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質問者2024/3/28 18:36

はい、待ってます☺️

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽に限りませんが、人間の感覚を言語化しようとする時、すべてを言語化できるわけではないことが出発点になります。 例えば鉄棒の逆上がり、できない人ができる人になぜできるのか訊いても答えられないし、逆もまた然りです。できて初めてわかること、知って初めて実感できることはこの世にはたくさんあるのです。 美しさや深みのように定量化不可能な概念は比較すること自体に無理がありますが、一方で体験して初めて実感できる感覚もあって、その感覚を未体験の人に言葉で伝えることは不可能です。 食べたことのないエスニック料理の味を言語化できないのと同じかも知れません。 ベートーヴェンの後期の作品が湛える深みもそのようなものです。音楽も含めてさまざまな人生経験を経て初めて、ああ、これのことか、と。 山に登ると標高が上がるに連れて遠方まで見えるようになりますが、□号目からの景色はそこまで登った者だけが、それと同じです。

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質問者2024/3/28 0:48

言ってることが理解出来ませんが おかしいでしょうか

 
 
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AIからのお助け回答

「深み」とは、音楽の表現力や感情的な複雑さを指す言葉です。ベートーヴェンの後期ピアノソナタは、彼の人生の困難な時期に作曲され、その結果、音楽には深い感情や思索が反映されています。これらの作品は、音楽的なテクニックや構造の面でも非常に洗練されており、聴く者に多くの解釈を提供します。これら全ての要素が、「深み」を生み出しています。

この回答はOpenAIのGPT-4で作成されており、最新や正確性を保証するものではありません。

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    ■サムです!
    いろいろ出てきましたが、違うと思います。バッハとの関係や和音の問題はないです。独創性というしかない!分解できない、解析できないものなのです。
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