SonofSamlawのブログ

うひょひょ

オクターブの問題

 



 オクターブの問題(かきかけでーーす)
■ なぜ、音程はオクターブのの周期をもつのか?
つまり、その何かは、たとえば、オクターブ上の音は同じ「ド」と呼ばれますね。いったい何が同じなのかです。

 たとえば、fの周波数をドとすると、2fも4fもドと呼ばれます。いったい何が同じなのでしょうか?

 このようなシステムはいつごろ作られたのでしょうか?かなり昔からあります。周波数などわからない時代からです。

 たぶん音楽家はこのような疑問をもちません。

 わたしは、50年以上生きているものですが、このあたりについての議論を聞いたことがありません。

 科学者も哲学者も、この問題を考えているのを、私は見たことがありません。音楽家は、たぶん深入りしないでしょうね。

■知恵袋での質問では
jolly_haffne様からコメントがいただけました。

相似関係にある二つの平面図形と同じで、もっとも「同じに近い」から、グループ化しやすいだけでしょう。
そして、相似関係にある平面図形の各内角・外角が等しいように、異なるオクターブの中にも同じ音程関係を再現できる。
その音程関係をひっくるめて、オクターブはひとつの「周期」として認識されるのだと思います。
ところが、図形の認識と音の認識では、ひとつ決定的に違う点があります。

図形の場合、二つの相対的な大きさがより近い方が、「同じに近い」ものとして認識しやすい。言い換えれば、各辺の比が 1:2 の図形同士よりも、2:3 の図形同士の方がグループ化しやすい。

一方、音の場合、波長の比率が 2:3 の二音よりは、1:2 の二音の方が明らかにグループ化しやすい。だから、鍵盤上には倍・倍の周波数関係のグループが積み重なっている。仮にひとつのグループが「ド~ファ」の音域、その上のグループが「ソ~レ」の音域で構成された鍵盤を想像してみると、かなり気持ち悪いことになる。

なぜそうなるのかというと、空間を伝わる波動を感知するとき、より単純な数比でないと脳の処理に遅れが生じて整理できなくなるからではないか、と私は考えています。そして、その処理スピードが安定しているほど、人間は心地よく感じ、忙しくなるに従って不安になるのではないか、と。
意外と、こんな殺伐とした理屈が、音に関する「クオリア」の正体かも知れません。
それから、楽音というのは、ひとりの人間が他の人間に向かって「聴けよ」という意志を込めて発する音なので、聴く側も脳を「受信モード」に切り替える。そうなると、余計に処理スピードの安定が必要になってくる。

そういう「受信モード」全開の状態で、いきなり長二度とか短二度を鳴らされると、私にはすごく「尖がって」聴こえますが、それだけで脳がビジー状態になるからでしょう。無調音楽に人気がないのは無理もありません。気分の安定が得られないんだから。
以上は文科系人間のニワカ推論なので、まったく根拠はありません。

■ まとめると、
ーー>オクターブ関係の音は、もっとも「同じに近い」
ーー>オクターブはひとつの「周期」として認識される
ーー>より単純な数比でないと脳の処理に遅れが生じて整理できなくなるからではないか? その処理スピードが安定しているほど、人間は心地よく感じ、忙しくなるに従って不安になるのではないか、ーー>無調音楽に人気がないのは無理もありません。気分の安定が得られないんだから。

■ コメント:まったくコメントできません。私は「楽典」をもっているが、
ちんぷんかんぷんでした。音楽のことが、まったくわからない。