ライター:mpcsp079さん(最終更新日時:2016/9/16)投稿日:2013/8/10
太古では、死刑は決して刑罰という意味はなかった。死刑はもっともおもしろいイベントだった。それに敗者や罪人が利用されたのであった。少し昔でも、公開死刑には多くの者が駆けつけ見物した。
そのなごりは、火事見物である。誰もがこれには駆けつける。人の不幸は、最高のイベントなのだ。
2013年6月、コンビニのアルバイトの方が店の冷蔵庫に寝そべり写真を撮り、それをインターネットに出した。しかし、それが大騒ぎになった。ついにはその店はフランチャイズ契約を破棄されてしまった。インターネット上でなんでこんなに騒がれるのか? これは昔の死刑と同じである。我々は常に敵を、そして攻撃を、悲惨な事件を欲している。そのネタが出てくると、それっとばかりに襲い掛かるのである。
つまり、彼らは悪いことをしたからとっちめられるのではなく、我々の残忍性の欲求の餌食にされているだけなのである。