SonofSamlawのブログ

うひょひょ

クオリアと短調・長調

 

まだ書きかけです

■ クオリアのわかりやすい説明です。

音楽で短調は悲しく、長調は明るい、ですね。
和音でも短3度は暗く、長3度は明るい。

しかし、科学的に説明できない。

そもそも、「暗く感じる」ということ自体、他の既存の概念に
《分解》することができません。

まさに和音のクオリア、というしかありません。


■ よく、クオリアをたの概念から説明しようとする者がいますけど、それができないから、クオリアという名前がつけられたのです。

■ 悲しい人の顔がどうして悲しそうに見えるのか? うれしい人の顔がどうしてうれしそうにみえるのか?この問題は、どうして長調が明るく、どうして短調が暗いのか? という問題と同じであります。
 悲しい顔とは、どういう顔かはわかりません。しかし、我々は現物を見れば判断できます。それと同じで、どのような音程関係のメロディーが、悲しいのかがわからないけれど、現物を聴けば、それが悲しいかどうかがわかるのです。
 つまり、和音にしてもメロディーにしても、そのセットでつくれば悲しいものになることを、察知した人間はそれらの音程関係にあるセットを「短調」名づけたのです。
 これがわたしの考えです。

音程関係ーー>悲しいか、明るい

という仲介者は科学的に解明できない、そこでこれにクオリアという名前をつけたのです。


■知恵袋でおうかがいしたところ、下のようなまじめな(?)回答がいただけました。どの意見もなるほどです。わたしの意見としては、科学では解明できない
何かがある、ですかね。


scarlet_roses_1812様
> ホ短調よりホ長調の方が悲しく聞こえませんか?


kurashikkusuki様
> 短調ってなんですか?

ポイント

  • 実は、私もわかっていません。

 
tanntanntann826様
> そうですね、 私は短調の曲以外は好きになれません、
> 主音が、ド、か ラ、で決まるだけなのに、なぜか、短調は心の
> 奥底まで響くのです
> オクターブの半音の箇所がずれてるだけなのに、不思議ですね~
> 作曲家でも、長調が多い作曲家と、短調が多い作曲家に別れ、
> ヴェートーヴェンやショパン短調が多いので大好きです、

 

ポイント

  •  私は「短調派(?)」です。音楽はそれほど好きではありません。文学もわかりません。それでも、ベートーヴェン第九の1楽章がとてつもなく好きでありまして、
    音楽以外のものも含めても最高の産物だと思っています。
    さらには、ブラームスのピアノ協奏曲2の1楽章がそれにつぎます。
    さらに、ブルックナー狂でもあります(^^)

stokovsky様
> そんなふうに、DNAに組み込まれているからです。

 

ポイント

    • それを、もうすこし進め、メカニズムを解明しようとすると、わからなくなってくるのです。

 
jolly_haffner様
>ヨーロッパの音楽教師が、アフリカ奥地に出向いて未開民族の子供に楽譜
>を教えようとしたところ、「ドレミファソラシドは上行音階である」とい
>うことさえ理解させられなかった、というエピソードがあります。

>これは「その民族に音組織の概念がなかった」という話ではなく、
>「それまでの教育によって別の高度な音組織が刷り込まれているから、
埒外のものを受容できなかった」という話です。

>かつて日本では、西洋音楽長音階に近い日本音階は「田舎節」、短音階
>に近い日本音階は「都節」と呼ばれてました。「とおりゃんせ」が都節の
>代表格ですが、むかし(といってもそう遠くない過去)の日本人の耳には、
>あの旋律はむしろ「雅びて華やか」に響いていたのだと思われます。

>つまり、「長調=明るい、楽しい」、「短調=暗い、悲しい」と感じるの
>は、西洋式の音楽教育によってそういうイメージが脳にインプットされる
>からに他ならず、自明な摂理によるものではない、ということです。

>よく「短音程の方が長音程よりも周波数比が複雑だから暗く、悲しく感じ
>るのだ」という説明を目にしますが、それなら短二度音程はどん底の暗さ
>で響くはずなので、こじつけに過ぎないと思います。

 

ポイント

  • 『つまり、「長調=明るい、楽しい」、「短調=暗い、悲しい」と感じるの
    は、西洋式の音楽教育によってそういうイメージが脳にインプットされる
    からに他ならず、自明な摂理によるものではない、ということです』

 p6336pp様
> 長調は開放感
> 短調は緊張感
> という感想もあると思う。

 

ポイント

  • であるにしても・・・、どうして短調は緊張感をかんじるのか、という問題がのこりますよ。

 
foxbat2011様
>この問題は完全には解明されていません。
>私は人間の会話の口調(イントネーション)に由来するという説を
>唱えています。
>明るく「こんにちは」とか「おめでとうございます。」という時の口調
>は長調音階になっていませんか。
>沈んだ気分で「このたぴはご愁傷様でございました」というときは
短調音階になっていないでしょうか。
>そして、その会話のイントネーションの気分がそのまま歌となって
>音楽に発展していったのだと思います。
>では人間のコミュニケーションのやり方の中で、長調短調それぞれの
>口調(=音階)がなぜ明るい気分と暗い気分に割り当てられているのか、
>という点についてです。それは笑顔で発した発音は長調となり、
>暗い顔で発した発音は短調になるという原初的な習慣に由来するもの
>だと考えています。その発端は人間が顔の表情で意思を伝えるという
>習慣を獲得したときにさかのぼると思います。

 

ポイント

  • 『明るく「こんにちは」とか「おめでとうございます。」という時の口調
    長調音階になっていませんか。
    沈んだ気分で「このたぴはご愁傷様でございました」というときは
    短調音階になっていないでしょうか。』
  •  
  • ここが問題デーース。つまり、明るいーー>長音階、暗いーー>短音階
  • と、問題をはじめに戻してしまいます。

  • 『人間のコミュニケーションのやり方の中で、長調短調それぞれの
    口調(=音階)がなぜ明るい気分と暗い気分に割り当てられているのか、
    という点についてです。それは笑顔で発した発音は長調となり、
    暗い顔で発した発音は短調になるという原初的な習慣に由来するもの
    だと考えています』
  • ということですが、この説明も問題の答えに、問題そのものが使われています。
  • すいません・・・




love_aragall様
>経験が大きいと思います。
>はっきりとした理論付けはないと思います
>しかし、ドレミ、と歌うことと、ドレミ♭と歌うことは違います。
>後者の場合、何か眉をしかめてしまいます。
>反例もあります。
>scarlet rosesさんが仰るように、ホ長調の「別れの曲(ショパン
エチュード10-3)」、へ長調の「トロイメライシューマン:子供の
>情景より)」は悲しい感じです。

 

ポイント

  • jolly_haffner様と同じですね。教育とかね・・・

 


hgjrx178様
>実は私は、
>jolly_haffnerさんが回答後半で否定している「こじつけ」を
>大真面目に信じてたりします。

>長3和音は一つの音の倍音だけで構成できますが、
>短3和音は倍音列から外れた音が第3音に入ります。
>よって、完全に澄んだ響きにはならない。
>更に、我々が普段親しんでいる平均律の短3和音は、
>純正に比べて第3音がかなり低く、
>輪をかけてくすんだ音色になっています。
>(つまり、「ごく軽い不協和音」と考えても良いわけです。)

>実際には、短調が悲しいというよりは、
>不協和音が増えるほど(もしくは印象的な使われ方をするほど)
>全体的な印象が「能天気」から遠ざかっていく、
>というのが実際のところなんだろうと、個人的には思います。
>「悲しみを感じさせる長調の曲」でも、
>短2度、長7度といった不協和音程の使い方に関しては
>この上なく絶妙なことが多いですからね。

>そして多分、短調を「悲しい」と感じるのは、
>「和音」という概念で響きを捉える習慣のある人だけなんだろうとも思います、
>理論上は。

>「理論上は」というのは、
>ヨーロッパ一部地域が出発点とは言え、和音で響きを組み立てる
クラシック音楽
>色んな音楽にかなり広く深く影響してしまった後の時代(=今)、
>我々がその感覚から完全に逃れるのはもはや不可能に近いからです…。

ポイント

  • 『不協和音が増えるほど(もしくは印象的な使われ方をするほど)
    全体的な印象が「能天気」から遠ざかっていく、というのが実際のところなんだろうと、個人的には思います』とのことですが、
  • 『不協和音が使われると、「能天気」から遠ざかっていく』が、どうして、ということなのです。ここが哲学者たちを悩ましているところなのです。茂木博士もなやんでいます。
  •  

■以上いろいろですが、もう一つおもしろい話をします。これはよく出てくる説です。

 

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 大昔、危険に遭遇した動物の悲鳴が、不協和音や短調だった。それ以来、我々はその種の音に不気味な印象をうけるようになった。

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というものです。しかし、私はそうは思いません。私はこう思います。

 

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 我々は、不協和音や短調を生まれつき不気味に感じるようになっていた。そして、我々は危険に遭遇したときにも、そのような音を発するようになっている。

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 つまり、これらのメカニズムを我々の知識の中だけで解明することはできないということなのです。

 

 また、危険なものは、危険なに臭いや味がします。これも経験から出てきたものではないのでしょうね。