SonofSamlawのブログ

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哲学のむずかしさ

ライター:misao007009さん(最終更新日時:2016/10/1)投稿日:2016/7/13

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哲学のむずかしさ    

      



 

 哲学とは?何なのか?

 

■質問 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389656183?fr=chie_my_notice_ans_good

 

独我論を否定するとしたら、どのように否定できますか?

タイトルの通りです。
独我論を否定せよ、というミッションが与えられたら、どのように否定しますか?
独我論とは、客観的世界など存在しない、すべては自分の意識のみ存在している。
他人や椅子や机などのものは脳が見せている幻影であり、そのものの存在はあり得ない。
つまり、世界の中に自分がいる のではなく、
自分がいて、世界は自分が創っている。という考えです。
根本的には否定はできないと思いますが、理屈を並べて、その反対の立場はどのようになっているか知りたいです。
ご回答お願いします。

キーワード:独我論、なぜ私は私なのか、水槽の脳、クオリア哲学的ゾンビ他我問題、我思う、故に我あり。

  

■回答

哲学のむずかしさは、自分で自分を持ち上げようとしているところにあります。
認識によって「認識」を整理しようとしている。
自分の脳みそを、自分の脳みそでもって調べようとしている。
しかし、
「なぜ私は私なのか」
の問題などは、同じような疑問をもつ存在者が無数にいることが、わかって います。これまた、私を騙す姦計がある、という疑いがありますが、実際、このような科学的なものは、少なくとも「哲学」ごときのような「架空」の ものではありません。ニュートンの教えるとおり、月は地球の周りを回って います。
「なぜ私は私なのか」
という疑問は、私の創造物であるはずの多くの者たちがもっているのです。なにも役にたたなかった哲学に対して、科学は役に立っています。
コンピュータは、我々の幻想でしょうか?
とすれば、「なぜ私は私なのか」という疑問は、世界中の誰もがもっていて それが「私のみのものではない」ということが、「直感的に」わかるはずです。

このように考えると、独我論は、机上の空論の一つにすぎない、ということ になってしまします。
つまり、ある特殊な「哲学的クオリア」にすぎない、とでも言えるでしょうか?

我々には把握できないメカニズムの中にいる我々の「ある感覚」にすぎない ということでしょうか? そのメカニズムの中にいる我々の理解は、それにより制限されていますので、それに固執する事自体ナンセンスです。

コンピュータが幻想である可能性と同じく、自分の意識も幻想である、何も確固たる地盤はない、という可能性も疑いないものです。

疑うなら、全てを同じく疑うべきです。どうして、自分の意識だけを特別なもの、疑う余地のないものとするのでしょうか?根拠がありません!

ニーチェに言わせれば、意識は本能の単なる道具にすぎません。意識は器官の1つにすぎません(道徳の系譜)。意識はそんなものであり、それこそが唯一のものである、という根拠がありません。

いかがでしょうか?