SonofSamlawのブログ

うひょひょ

トランジスタの開発物語 3

トランジスタの開発物語 3 ショックレイ.jpg

 

 


 1986年「日工マテリアル」に掲載された高松秀機氏の記事

 

            トランジスタ

  ――理論的アプローチの威力の限界――

 

を打ち込んでみた。ものすごくおもしろく、どこにも書いてない内容です。①~④でそれぞれ7000文字くらいあります。最後の方にトランジスタの話題が出てきます。

  バイポーラ型のトランジスタノーベル賞受賞後に、ショックレーが1人で作り上げ、理論も完成した、ということが理解できます。

 

 

  金属のなかで特異な挙動をする半導体が、先進国イギリスで前世期の末頃から見つけられだします。そのきっかけは海底ケーブル電話の抵抗器に、電気を通しにくいセレンを使ったところ、陽光によって急に声音が変化したことです。すなわち光が当たると抵抗が減少する光電効果が、テーマ設定なしに偶然裏に発見されました(1873)。しかし、この内部光電効果は奇妙にも金属ではおきず、どうも半金属でのみ著しいことに首をかしげられました。

 

  整流作用の発見

  そのSeを調べテストしていると誤って強い電流をながし過ぎてしまい、そのあと直流電気が通じ難くなりました。ところが子供のように+とーを逆にとっかえたら、なんと元のまま流れており、意外にも電導性が非対称になるとの驚くべき”整流構造”が発見されたのです。失敗の偶発から実用的な整流器が技術開発され、ドイツでは1923年頃から工業化工業化をはじめていました。日本でもセレン整流器を輸入して、鉄道省は1929年から充電用電源に使いだします。製品として実際に製造されたのですが、しかしなぜ半導の固体に整流効果がおき、その作用に関与するのが一体どの部分なのか、どんな機構によって光電効果が発生するのか、皆目わかっていませんでした。

  

  今世紀にはいると整流作用は”鉱石検波器”へと利用され、黄鉄鋼(FeS2)・

方鉛鉱(PbS)の砕片に細針を点接触させたものは弱い電話に良く感じるから、ラジオ放送波より声や音楽を選びぬく受信機として応用されます。しかし鉱石のある接点でのみなぜ検波能が働くのか、これも物理学者にとっては不可解な謎でした。

  

  理論的解明の試み

  1930~1940年にかけていろんな半導体理論がが提唱されてきます。それはちょうど戦争の危機が迫る情勢のなかでイギリスが国防上の必要性から、レーダーのマイクロウェーブ用に使う結晶検波器が大きな課題となり、性能の飛躍が強く望まれたからである。大学の著名な教授達も遅ればせながら理論的解明に取り組みだしました。

 

  励起された電子エネルギーは伝導域へジャンプし、この電子と空いた充満帯の正孔によって電気が伝えられます(図1)。その数が温度と共に増加して流れやすくなるから、半導体は温度依存性をもつ。(反対に金属は高温になると流れ難くなる)と、ウィルソン(1874~1964、英)は解析しました(1931)。注目を集めたこの理論の斬新な説得力は、エレクトロニクスへ量子力学を導入したしたことです。さらに整流現象もこれで解説されて、論理の切れ味と感心しながら学界に迎えられました。ところがセレン・亜酸化銅整流器は既に製品化されており、実際に電流は理論と反対方向に流れていたことが判明し、誰も信じなくなりました。無名な技術者に劣った大学者は恥じて頭をかかえました。それにしても学問がないのにどうやって工業化できたのでしょう?

 

  鉱石半導体の不可解な謎

  金属に半導体接触させると整流効果がおこることは広く衆智であり(図2(イ))、その電気特性についてこう解釈されてました。触れ合うと金属の自由電子は一様に拡散してしまうが、しかし半導体では流れにくく(表面がマイナスで、内部はプラス電荷の)電気的二重層となる(図2(ロ))。それがあたかもポテンシャルの山を乗り越えねばならない形となって整流作用が働く。これが独のショットキー障壁層に代表される理論です。

 

  他方、パデュー大学で(高純度のGeが低い周波数領域では優れた検波器になることを発見した)ベンザ―らは、障壁の高さを変えてやれば半導体(図3(A))の特性も変化するするにちがいないと思感をもちました。バリアの山をどうやって調節するのか? 電気二重層は金属が接触した瞬間に流れた電子によって形成される。「それならば・・・」とベンザーは結晶に立てた針の材質を換えてやれば「検波器(図3(B))の電気構造が変わり得るはずだし、新たな電子特性も期待できるのではないか」と企まれました。まさに理詰めの戦法でした。確信をもって種々の金属で針を作り、乱れる呼吸をおさえながら鉱石をつついて試したところ、彼の期待は全部裏切られました。電気特性の変化ではなかったのです。全く意想外だけれど、これは深刻な問題でした(1945)。蓄積された科学理論が合わないのです。現実の方が間違っているのか、何が違うのか、と研究者達の頭は混乱させられました。

 

  

   実験データのみが真実を語りだした

  同じ頃ベル研究所ではショックレーの理論アプローチによる設計と方向がことごとく失敗し、進むべき道を見失った状態になり、納得できぬまま敗因を痛考するなかへ、違った脇道から放浪児バーディンがこのチームへまぎれこみます。彼が参加したしたいきさつは歴史ににおける非必然のめぐりあわせであって(これが心理かもしれない)、電気・物理・数学・石油探査・アンテナ・金属の凝集等、つぎつぎにテーマを求めてさすらう遍歴の途中でショックレーに勧誘され、海軍研究所から移ってきたのですが・・・おとなしくて人の良い彼には空部屋がなく、半導体チームの部屋へ居候したことから首をつっこんだのでした。

 

   バーディンは理論物理学者(出身は地球物理)の視点からこの開拓を概覧し、一つの提案をいたします。どうやら固体面になにか不明状態が存在しているらしいと疑問が湧く以上、(すんなりと作動してくれない)これまでの失敗原因は「半導体表面についての物性の知識が不足しているからではないか、だからしばらくは表面の物理学に専念したらどうだろう。半導体の表面は内部と同じではなく”電子が跳梁する量子の場”であり、これまで実験がうまく行かず電界効果がでなかったのは、表面でキャリアがつかまってしまう(量子準位にトラップされる)からだろう。半導体の内部は、外電界より遮断された状態にある。その電気二重層(不可解な反転層)も半導体と金属が接触した特性によるのではなく、半導体自身で発生したものである」と大胆な仮説を提示しました。(1947)。

 

  暗箱にとらわれて落ち込みから抜け出せなかったショックレーは、プライドの高い彼には珍しくこの新入りの意見を受け入れたのでした。しかもずっと後年に何度も彼はこのバーディンの問題提起がよかったと友人達にもらし、「自分の人生においてあれほど有効な指摘はなかった」とまで語り、彼の行き詰まっていた苦しみがそのワラをもつかんだ気持ちに痛いほどうかがえます。14年間もトライアルをし続け、その頃彼は自信を失いかけていました。だが研究所のマネジメントからは、研究中止や方向転換の圧力は一切かからなかった。それが彼をくるしませたのでした。

 

 

  当時、固体素子をもちいて増幅作用を狙っていた者は他にもたくさんいました。固体素子による増幅器の重要さは1925年頃から誰もが承知しておりました。たとえば亜酸化銅整流器を扱った人達は(ブラッテンほか)二極真空管とのつよい相似性にひかれ、Cu20層のなかに銅網を詰めこんで三極管への変換を思い描いたけれど、しかし空夢に終わっていました(このアイデアは魅力的らしく、日本でも考えられている)。またこれを化学反応に置きかえて三極増幅器を作った人達もいました(1938)。理論面でも種々な検討とアプローチがなされた。ショットキーは金属と接触した半導体の表面に空乏層ができることを唱導し、光により半導体表面のデンバー効果に関してはフレンケルらが理論をたてていました。大波が刻一刻と打ち寄せる情勢にありながら、しかし真理はいぜんとして現れてきませんでした。

 

   失速が続く中でブラッテンは〈ショックレー理論〉が惨敗した半導体表面における不可解な特性に関し、なを原因を追究していました。半導体の表面挙動を確かめるために先の光理論で事実をチェックしたところ、まるで合わないデタラメでした。理論家は自らの説を確認もしていなかったのでしょうか? 未踏への開拓は自分達で一歩ずつ踏み固めていかねばなりませんでした。また同じ半導体でもどうしてか古いCu20・Se等と異なり、新しいSi・Ge系では電子の行動と障壁の高さがモットやショットキーの拡散理論(電荷濃度の勾配による電気の流れ)とはずれてしまい、こん矛盾からベーテは二極管をモデルにした”電子溜まり”整流理論を提案したけれど(1942)、これも実験データとは合わない代物でした。・・・しょせん理論は現象あと付けなのでしょうか。もしそうなら理論は開発の具には使えないことになります。

 

 

  これまで固体は一様な物質と考えられたのに、ブラッテンの実験データからは電子がどうも表面で大きく挙動を急変させている、らしく判断されました。このこの実証のためにブラッテンは固体表面へ光を照射したり、あるいは不純物の量を変えてみたところ、胸が高鳴るように表面の接触電位差(2種の固体が接触すると生じるが変動してきました。固体面を処理するとき思い切って外気体の種類を変えてみると、おもしろいように電位が増減しました。、これは間違いない。「表面自体に障壁状態が存在する」たしかな状況証拠であり、この電子挙動によってそれまで不可解だった固体面でのカラクリがようやくつかめかけてきたのです。

 

  暗闇で身動きのとれなかった理論アプローチにたいし、ブラッテンは最年長ながら手をかえ品ををかえてさまざまのデータを採りつつ表面物性を克明にさぐり、その接触電位差の測定が期待以上に難路を踏破し、未知から見えない姿を浮かびあがらせ、その実態の解明に迫っていったのです。実験屋の彼だけが着実に歩を進めていました。・・・本当に表面準位の構造とメカニズムが明確になったのは、トランジスタの発見後です。それなら理論はここでどんな意味ををもち、進歩に何の役割を担えたのか。その本質について、真理を真理を重視する学会ではなぜ是非を討議しなかったのでしょうか。

 

  

  不明の正体を追いつめる

  表面の電子状態に関してはコンデンサーがよくイメージとして描かれる。初期には整流器や誘電蓄電器の表面電荷を増加させる目的で液体に浸して効果を上げたことから、科学やギブニー(化学部門にいたのをショックレーがひっぱった)が試料面にに電解液を注入するアイデアを提案しました。それを否定せずに、ブラッテンが実験を行い観察したところ、金属電極をプラスにしたとき整流効果が著しく働き、マイナスに換えるとゼロのまま止まっていまして。ここでやっと不明物のたずなを握りしめて、障壁の高さを電気的にコントロールする手段を得たのでした。そとから与える電界が障壁域を突き抜けて内部にまで到達したことが、初めて実感として手ごたえされました。

 

 

  このあとブラッテンとバーディンは実験方針をガラリと転換させました。ショックレーが失敗した電界効果型の増幅目標を再び採りあげ、第3極の薄膜の代わりにこの障壁層を利用すれば電流制御ができるのではないか、と第六感が働きました。必要となったp型Siの半導体は、戦時中に他チームがレーダー検波器用として開発しており、それを使えました。

 

  ふつう(表面にn型層をもつ)p型シリコンにプラス電圧をかけると、逆整流となって電気が止まってしまいます。しかし境面に電解液を滴らせると外側に陽イオンが集積し、障壁層の彼方から伝導電子を表面へつよく引き寄せてバリアが消失するのではないか。それなら電解液のなかへリング状電極を入れて電圧を加えれば、針を通る電流をゲート制御できるかもしれない。この誘惑的な心ふるえる機宜に彼らは挑戦していったのでした。バイアスをかけた回路を組み、緊張の中で瞳をこらすと果たせるかな、電流は少し抑えられたようでした。暗闇にようやく曙光がさしこんだのです(図4)。だが電圧の方はだめでした。

 

  翌日に、「電解液を利用すれば表面障壁の高さを制御できた」という報告をきいたバーディンは、すぐさまGe試料でもやるようにすすめます。Geの方がSiよりも精製されやすく(融点はGeが985℃、Siは1410℃)、良い結晶が得られていたからです(扱いやすいGeで成功し、それを土台にSiに戻った)。そこでGe試料を探したところあいにくn型しかなく、電極を逆につけねばならず、第3電極をプラスに換えて実験を行い、そして息をのんで瞬間を見守りました。逆方向の電流が大幅に減っていきました(図5)。固体デバイスとして電流・電力・電圧の制御が働いた初の成功でした。歓びにわいたが、じつはn型Geだから可能であったと後で判明したのです。紆余曲折の道程でした。

 

  トランジスタ誕生その創造方法への疑問

  電解液はイオン運動であるから電子移動のスピードが遅くて、べらぼうな低周波にしか扱えません。実用化するにはもっと応答の鋭いものではなければならず、次の段階では周波数を高めるために電極を結晶へじかに接触させる必要がありました。しかしそうすれば制御用のC電気が侵入してくるから、メイン電流をコントロールするには半導体と制御電極との間に絶縁層を挟まねばなりません。上の層から電圧を負荷させる。そう考えられました。そこでn型のGeの表面に電解液をおとして酸化膜を形成し、うえへ金を蒸着して電極をとりつけたのでした。

 

  このとき工作でn型Geの表面処理に手落ちがあり、金スポットの絶縁性が不細工で不安を感じさせました。ショックレーならこれを見るや罵倒してすぐやり直させたが(当時は留守だった)、実験屋ブラッテンはこんな”出来損ない”でもどんな様子になるか試してみました。そういう男だったのです。「自然をして語らしめよ」とサイコロをふりました。こん逸脱した(ショックレーにとっては)無駄な行為が、真の発見へ踏み込ませるのです。

 

  絶縁した金電極に針を立てて、前回と同じくプラスにつないで測定を行いました。これは図5のときと変わらず周波数が高くなっただけ、ただし電解質がないからCは論理的にーチャージとなる。ところがどうしてか金属針への電流は減ってきません。おかしいと焦り、電解の実験とは逆にCを+にもかえ、針をあちこちへ突き刺して非論理的にまさぐって、接点が非常に狭まったとき、瞬間に電流が増大しました。なんと前回とは反対の効果と方向へ流れだしたのです。予想もしなかったこの事態に彼らは血も逆流せんばかりに当惑させられました。突然に早鐘のごとく打ち出した心臓の鼓動をこらえ、ようやく確認をとったのでした。

 

  これまでの実験結果からみて電流は減ると考えられたのに、夢にまで描いた信号の増幅が思いがけぬ形態で出現したとき、論理はまたも誤っていたのでした。違うのは何故か。針Aにはマイナスの電荷を与えてある。Ge表面には電子が主針に流れ込むのを妨げている障壁ができているはずだ。金スポットにプラス電圧をかけたから、それと対向している((絶縁層の向こう側の)Ge層にはマイナス電荷が生じて障壁は超えにくくなり、電流Aは抑えられているべきなのに。

 

  何事が起ったのかとわななく体で見詰め、躍起になって究明すると、敷いたはずの酸化被膜が不十分であり、Cの絶縁不良部をすり抜けた”プラス孔”が結晶表面をうろつき、そのため主針Aの負電流が促されて増加したのだったと後で解析されました((なんという単純さ)。以外にも論理的に必要だと考えられた絶縁層はいらなかったのでした(図6)。なんのことはない接続の失敗から、長い間探しこがれた夢の機構がこぼれるごとく現れてきたのです。闇からとうとう姿をかいまみせたこの現象こそ彼らがのちに「トランジスタ効果」と名付ける、劇的な「増幅作用」の誕生でした(図7)。

 

  創造ができあがってみると、それは最初に指導者が論理で描き、想定したものとまるで違う原理で作動するものでした。なのになぜ創造されてきたのでしょう。外部から負荷(付加?)した電場(電圧)によって変化させたつもりなのに、意外にも極近から漏れた微電流によって誘発(制御)されていたのでした。これほどの革命をもたらす発見が思い違いとミスから生まれています。

 

  創造とは魔法でも神がかりでもありませんでした。この日ブラッテンは高ぶる興奮のあまり、所員の業務上の守秘義務にもかかわらず、駐車場で出くわした友人にこの奇跡の発明をじゃべってしまい、思わず喉から叫びました。突き上げてくる劇場を抑えきれなかったのでしょう(物理の法則を変えた可能性さえあった)。

 

  充血させた目のブラッテンから発見の第一報を聞いた責任者ケリーは、すぐさま事態の重要さを悟り、驚きのなかで異例の箝口令を敷き、生涯にめぐりあえた大発見の幸運に謝しながら、本格開発を秘密裏にスタートさせて創造への道を急行しました。そこに見たものは何だったのでしょう。

 

③終わり 

④に続く