SonofSamlawのブログ

うひょひょ

死刑と残忍性その2-2

 

死刑と残忍性その2-1の続きで、ニーチェの「道徳の系譜」からの抜粋引用です。


今一度問うが、いかにして苦悩は《負債》の補償となりうるか? それは、苦悩させることが最高度の快感を与えるからであり、被害者がその損害さらには損害からくる不快と引き替えに異常な悦楽を手に入れるからである。すなわち、苦悩させることは―つの真の祝祭なのであり、すでに述べたごとく、債権者の身分や社会的地位が低ければ低いほど、それだけ反対にいよいよ高く値ぶみされるものなのである。これは推測して言っただけにすぎない。というのも、こういう地下的に秘密なことがらは、そうすることのやりきれなさは別として、これを根本的に究明することは困難だからである。それに、ここで不用意に《復讐》という概念を援用する者は、洞察を容易にするどころか、暗ますだけである(――復讐そのものは、まさにあの「苦悩させることがどうして報償(著者注、損害をつぐなうこと)でありうるか?」という同じ問題へと、立ち帰るだけなのである)。残忍というものがどれほどまで古代人類の大きな祝祭の歓楽となっていたか、いな、どれほどそれが彼らのほとんどすべての歓楽のなかに成分として混じっていたか、他方また、残忍への彼らの嗜欲がいかに素純に、いかに無垢のすがたであらわれているか、また、ほかならぬあの《無私の悪意》(もしくは、スピノザの言葉をかりれば、《悪意ある同情》)が、彼らによっていかに根本的に人間の正常な性質と見なされ――、したがってそれにたいし良心がいかに心から然りを言う(!)ものとみなされていたか。こうしたことがらを力のかぎり眼前に思い浮かべてみることは、私の見るところでは、飼い馴らされた家畜(すなわち近代人、つまりわれわれ)の繊細の感情(デリカシー)、というよりはむしろその偽善に逆らうものであるように思われる。より深徹した眼識をもってすれば、おそらく今日といえどもなお、人間のこの最古の、もっとも根本的な祝祭の歓楽を充分に知ることができるであろう。「善悪の彼岸」一九四節において(さらに早くはすでに「曙光」一八節、七七節、一一三節において)、私は、高度文化の全歴史を通じて見られる(ある重大な意味ではその歴史を形成さえしている)残忍の、いや増す精神化と《神聖化》とを、控え目ながらも指摘しておいた。それはともかくとして、死刑や拷問あるいは異教徒焚刑といったものなしには、至大な規模の王侯の婚儀や民族祭典は考えられようもなく、同様に、遠慮会釈なく悪意や残酷な嘲弄を浴びせかけることのできる相手なしには、貴族の家政は考えられようもなかったということは、それほど遠い昔の話ではない(――たとえば、公妃の宮廷で「ドン・キホーテ」が読まれた場面を想い浮かべてみられるがよい。今日のわれわれなら、ドン・キホーテを通読するとき、ほとんど拷問といってよいような苦味を感じさせられる。こういうことは、この書の作者やその同時代の人たちには、はなはだもって奇妙なこと、解(げ)せないことに思われたであろう。――彼らはこの書を、世にも朗らかな本として、良心の呵責などつゆいささかもなしに読んだし、読んでは死ぬほどまでに笑ったのである)。苦悩するのを見るのは愉快である、苦悩させることはさらに愉快である、――これは残酷な命題である。が古い、力強い、人間的あまりに人間的な根本命題であり、おそらく必ずや猿ですらもこれを是認するであろう。というのも、噂によれば、猿はさまざまの珍妙な残忍の仕草を工夫しだす点で、すでに充分に人間の登場を告げ知らせており、いわば人間登場の《前劇を演じ》ているという話だからである。残忍なくして祝祭はない。人間の太古来の長遠な歴史が、そう教えている。――そして刑罰にもまた、じつに多くの祝祭的なものが見られるのだ!

 

――私が最悪の時代のしるしと言っているのは、《人間》獣をしてついにその本能のすべてを恥じるようにしてしまったあの病的な柔弱化と道徳化のことである。《天使》(ここではこれ以上に酷い言葉は使わないでおくが)になる途中で、人間はあのように胃をこわし、あんなにも舌苔を一杯生やしてしまったため、動物の悦びと無垢が嫌になったばかりでなく、生そのものすら味気ないものになってしまった――そのため彼は、時おり放心の態で鼻をつまんで立ちつくし、教皇インノケンチウス三世とともに非難がましく自分の嫌いなものの目録を作成する(「不潔な生殖、母胎内の厭らしい養分、人間の生育のもとになる原料の劣悪さ、ひどい悪臭、唾液・尿・糞(くそ)の分泌や排泄」)。苦悩がつねづね生存に反対する論拠の第一のものとして、生存の最悪の疑問符として、横行闊歩する定めになっている現今においては、これとは逆な判断がなされたあの時代を想い起こすことが、というのはつまり、苦悩させることなしにはえられず、苦悩させることのうちに第一級の魅力、生へと誘惑する真の好餌(良いえさ)を見ていたあの時代を想い起こすことが、時宜を得たものというべきである。おそらくあの時代には――こう言えば柔弱な男どもの慰めになろうが――苦痛というものがまだ今日ほどには辛いものではなかった。

 

全古代人類は、劇や祝祭なしには幸福というものを考えることができなかった徹底して公開的な、根っから見物好きな一つの世界として、つねに《観衆》というものにたいしていきとどいたこまやかな心づかいをしていたのである。――それで、すでに述べたごとく、大きな刑罰にさえもじつに多くの祝祭的なものが見られるのだ!

 

ここで、刑罰の起源と目的について、なお一言述べておこう、――これらはそれぞれ別個の、また別個であるべき二つの問題であるのに、普通は遺憾ながら一緒くたにされている。こういう場合を処置するのに、これまでの道徳系譜学者らは一体どういうやりかたをしているだろうか? 彼らは、いつもやるように、相変わらず素朴なやりかたをしているのだ――。彼らは、刑罰のうちに、たとえば復讐とか威嚇とかいったような何らかの《目的》を探りだし、さてこの目的をば無邪気にも刑罰の《誘起因》となして事の端初におく。そして――それで万事終わりである。がしかし、《法における目的》というものは、法の発生史にとっては最後に採用されるべきものである。いなむしろ、あらゆる種類の歴史にとって、次の命題にもまして重大な命題は一つもない。その命題というのは、これを獲得するのに非常な労苦を要しはするが、しかし是非とも実際に獲得されなくてはならないものである――すなわちそれは、ある事物の発生の原因と、そのものの究極の効用、その実用、それの目的の体系への編入とは、天地の隔たり(toto coelo)ほどもかけ離れている、という命題である。これを別言すれば、現存する事物、ともかくも成立するにいたったものごとは、それよりも優勢な力によって繰りかえし新しい目標へと指し向けられ、新しい用途に振り向けられ、新しい効用へと造り変えられ向け変えられる、ということである。また、有機界における一切の生起は一つの制圧、一つの支配であり、さらに一切の制圧と支配は一つの新しい解釈、一つの調整であって、これによって従来の《意味》や《目的》が必然的に不明になるか、あるいはまったく抹消されざるをえない、ということである。

 

――さてここで本題である刑罰の問題に立ち戻って、これについて二種のものを区別しなければならない。その一つは、刑罰における比較的に恒久的なもの、すなわち慣習、所作、《劇(ドラマ)》、もろもろの処分をすすめる一定の厳格な手順などである。他の一つは、刑罰のおける変移的なもの、すなわち意味とか、目的とか、それら処分の実施と結びついた期待とかである。この場合、先ほど述べておいた歴史的方法論の基本的観点からして、類推によってただちに予想されることは、処分そのものは刑罰にとってのそれの効用よりも一層古いもの一層早いものだろうということ、この効用というものは後になってようやく(とっくの昔から存在したものの、別の意味で行なわれていた)処分のなかへもちこまれ、解釈しいれられたものだろうということ、要するに事実は、従来わが素朴な道徳系譜学者や法律系譜学者らが想定してきたようなものではない、ということである。これらの系譜学者らときては、おしなべてみな、昔から手は掴む目的のために創りだされたものと考えられてきたと同じように、処分は刑罰の目的のために考案されたものだと考えてきた。ところで、刑罰におけるもう一つの要素である変移的なもの、すなわち刑罰の《意味》はどうかというと、文化のずっと後代の状態(たとえば現代のヨーロッパ)においては、《刑罰》という概念は事実もはやまったく一義的な意味をもつことがなく、むしろ《多くの意味》の一つの全体的綜合を表している。総じてこれまでの刑罰の歴史、実にさまざまな目的に刑罰が利用されたその事実の歴史は、結局において、分解も分析もしがたい、それだけにまったく定義しがたい(この点はとくに強調せねばならないが)一種の統一体に、結晶してしまう。(今日では、いったい何のために刑罰がなされるかを、はっきり説明することは不可能である。語義学的にいって過程の全体がその内に要約されている概念はすべて、定義しがたいものである。定義しうるのは、歴史をもたないものだけである)

 

刑罰は有罪者の内に負い目の感情を目覚す価値をもつ、とされる。かくて人は刑罰のうちに、《良心の疚しさ》とか《良心の呵責》とか呼ばれる例の精神的反動に特有の道具を、見つけだそうとする。がしかし、こんな次第だからわれわれは、現今においてもなお現実と真理を捉えそこなうことになるのだ。ましてや、人間のもっとも長きにわたる歴史、つまり人間の先史時代に関しては、いかにおびただしい捉えそこないをやることか! 真の良心の呵責というものは、ほかならぬ犯罪人や受刑者のあいだにこそもっとも稀なものであって、監獄や刑務所はこの良心の呵責という齧(かじ)り虫種族が繁殖するに好適な孵化(ふか)場ではない。――この点については、多くの場合この種の判断を下すことを非常に嫌がり、はなはだ不本意なこととなす良心的な観察者たちも、すべてみな一致している。概していって、刑罰は人を非情にし、冷酷にする。刑罰は人を自己集中的にならしめる。刑罰は疎外感を鋭くさせる。刑罰は抵抗力を強くする。刑罰が人の気力をうち砕き、惨めな虚脱と自己卑下をもたらすことになるならば、こうした結果はたしかに、索莫たる暗鬱な厳粛さという特徴を帯びている通例の刑罰効果よりも、なお一層に疎ましいものである。けれども、ひとたび人間の歴史に先立つあの幾千年のことを思いやるならば、何のためらいもなくわれわれは、ほかならぬ刑罰によってこそもっとも効果的に負い目の感情の発達が抑制されてきたのだ、と断定することができる。――すくなくとも、刑罰の強権の発動を蒙った犠牲者に関するかぎりではそうだ。犯罪人が裁判手続きや行刑処分を実地に目撃することによって、どれほど自己の行為・自己の行状をそれ自体として非難すべきものと感ずるのを妨げられるかという点は、とくに軽視してならないところである。それというのも、犯罪人は実際に、自分のとまったく同一の行状が正義のためになされ、しかもその際にはそれが是認されて、良心の疚しさなしになされるのをその目で見るからである。すなわち、スパイ行為・策謀・買収・陥穽(かんせい)、要するに警官や検察官らが弄する狡猾老獪(長い間世俗の経験を積んでわるがしこいこと)な手管(策略)のすべて、それにまた、さまざまな種類の刑罰の上にはっきり現れるような、情念からしては許されないものの原則上は許される強奪、圧服、凌辱、拘禁、拷問、殺害など、――これらすべてが彼の裁判官によって、それ自体としては決して非難され処罰さるべき行動とは見なされているのでなく、むしろただそれがある種の願慮からして利用されているだけだ、というのを犯罪人は見るからである。《良心の疚しさ》という、まさにこの地上の植物の中でももっとも不気味で興味深い植物は、けっしてこの刑罰の地盤の上に成長したものではない。――事実、裁判官や刑吏たちの意識には、きわめて長いあいだ、自分らが《有罪者》を扱っているのだという懸念は一向に浮かばなかった。むしろ、扱っているのは損害を惹(引)き起こした者、責任のない一個の宿命的存在だったのである。そして、その後に刑罰が、これまた一個の宿命のように、この者の頭上に降りかかってきたとき、この受刑者自身としては別に何の《内面的な責苦》をも感じなかった。ある予測しがたかった事象、ある怖るべき自然現象が突如として見舞ってきたかのような感じ、もはやどうしようもない勢いで落下してくる岩塊に圧しつぶされるかのような感じ、それしか彼にはなかったのだ。

 

ここにおいて、良心の呵責なるものはどうなったか? ついに彼はわれと自らに言った、「これは歓喜(gaudium)の反対物、――あらゆる期待に反する結果となった過去の事物の表象にともなう悲しみである」(「倫理学」第三部、定理一八、備考一、二)。突然に刑罰に見舞われた悪行者らが幾千年来おのれの《犯行》について感じてきたのも、スピノザのこの感懐と異なるものではない。つまりそれは、「思いもよらぬまずいことになったものだ」という感じであった。けっして、「ああしたことをなすべきではなかった」という感じではなかった――。

 

疑いもなくわれわれは、刑罰の本来の効果を、何よりもまず、それが用心深さを増させる点に、記憶を長続きさせる点に、将来はもっと慎重に、もっと疑いぶかく、もっと内密にことを運ぼうと意志させる点に、多くのことに人はどうせ力およばぬものだということを悟らせる点に、つまりは自己批判の一種の改善をもたらす点に求めなければならない。人間においてにせよ動物においてにせよ、およそ刑罰によって達せられることは恐怖の増大、用心深さの増進、欲望の制御がそれである。この点からいって、刑罰は人間を馴致するにしても、これを《より善く》することはない、――むしろこの反対を主張する方が当を得ているだろう。(下世話にも、「痛い目にあえば利口になる」という。が、利口になるだけに、わるくもなる。運よく鈍物になる場合もかなりある)

 

ここにいたってはもはや私は、《良心の疚しさ》の起源についての私自身の仮説を一まず暫定的に述べておくことを避けるわけにはいかない。この仮説は、容易には人の耳に入りがたいもので、長いあいだ考慮され見守られ熟思されるべきものである。私は、良心の疚しさというものをば、およそ人間がその体験したあらゆる変化のなかでも最も根本的なあの変化の圧力のため、罹(かか)らざるをえなかった重い病気だと考える。――もっとも根本的なあの変化とは、人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったときの、あの変化のことである。陸棲動物になるか、それとも死滅するかの選択を余儀なくされたときに、水棲動物のうえに起こらざるをえなかったと同じことが、人間というこの野蛮・戦争・放浪・冒険にうまく適応していた半獣の上にも起こった、――彼らの本能のすべては一挙にしてその価値を失い、《蝶番(ちょうつがい)をはずされ》てしまった。彼らはそれまでは水によって運ばれていたところをば今や足で歩き、《自分で自分を運ば》ねばならなくなった。恐ろしい重みが彼らの身にのしかかってきた。きわめて簡単な仕事をするにも彼らは自分をぎこちなく感じた。この新しい未知の世界にたいして、彼らはもはや、その昔ながらの案内人を、無意識のうちにも確実に先導してくれるあの統制本能を、もたなくなっていた。――この不幸な半獣たち、彼らは、もっぱら思考・推理・計測・因果連結だけに依存し、その貧弱きわまる、誤りを犯しがちな器官である彼らの《意識》だけに依存するようになったのだ! 思うに、これほど惨めな気持、これほど重苦しい不快感は、かつて地上にあったためしはないであろう。――もちろん、そうなったからとて、あの古い本能がその要求を提出することをぱったり止めてしまったわけではない! ただそれら本能の欲求を叶えることが困難になり、ほとんどできなくなっただけなのだ。要するに、これらの本能は、新しい・いわば地下的な欲求満足を求めざるをえなくなったのだ。外に向かって発散されないすべての本能は、内向する。――これこそが、私の呼んで人間の内面化というやつである。これによってはじめて、のちのち人間の《魂》と呼ばれるようになるものが、人間の内に成長してくるのである。全内面世界、はじめは二枚の表皮のあいだに張られたもののように薄っぺらだったこの世界は、人間本能の外への発散が阻まれるにつれて、いよいよ分化し膨れあがり、深さと広さと高さとを得るようになった。古い自由の本能に対して国家的組織がおのれを防護するため築いたあの怖るべき堡塁――なかんずく刑罰がこうした堡塁の一つだが――は、野蛮で放縦で浮浪的人間のあの本能のすべてを追い退けて、これを人間自身の方へと向かわせた。敵意、残忍、迫害や襲撃や変改や破壊の悦び、――これらすべてが、こうした本能の所有者自身へと方向を転ずること、これこそが《良心の疚しさ》の起源なのだ。外部の敵や抵抗がなくなったことから、いやでも習俗の圧しつけられるような狭苦しさと杓子定規(しゃくしじょうぎ)の状態に押しこめられた人間は、心いらだっておのれ自身を引き裂き、責めたて、咬みかじり、かきむしり、いじめつけた。《飼い馴らされ》ようとしているところの、おのが檻(おり)の格子に身を打ちつけて傷だらけになるこの獣、われと自ら冒険や拷問台や不安で危険な野蛮状態をつくりださずにはいられなかったこの窮迫者、荒野への郷愁にやつれ果てたこの者、――この痴呆者、望郷に苛まれ絶望したこの囚人こそが、《良心の疚しさ》の発明者となったのである。

 

押し戻され、内攻し、心内に幽閉されて、ついに自己自身にたいしてだけ爆発し、ぶちまけられるだけに過ぎなくなったこの自由の本能、これこそが、これのみが、良心の疚しさのはじまりなのだ。

 

自己滅却とか自己否認とか自己犠牲とかいった矛盾した概念のうちに、どれだけ理想や美が汲みとれるかという謎も、それほど解きにくいものではなくなるだろう。それからまたただちに次の一事も知られるであろう――この点は私の疑わないところだが――、つまりそれは、自己滅却者・自己否認者・自己犠牲者が味わう悦楽は本来どういう種類のものであるか、というそのことである。すなわち、その悦楽は残忍の一種なのである。――道徳的価値としての《非利己的なもの》の由来、およびこの価値を発生せしめた地盤の標示については、まず差し当たってのところ次の点だけを示唆(しさ、それとなく気づかせること)しておこう。良心の疚しさこそが、自虐への意志こそが、非利己的なものの価値を生み出す前提となったのだ、と。――

 

以上の事態とともに、またそうした事態のもとに、いったい何が起こったかは、すでにお察しのことであろう。すなわち、内面化されて自己自身の内へと追い込まれた動物人間の、馴致さるべく《国家》のなかに閉じこめられた動物人間の、あの自己呵責への意識、あの内攻した残忍さこそがそれである。この動物人間は、苦しめようとするこの意欲のより自然な捌け口が塞がれたために、自己自身を苦しめようとして良心の疚しさを案出した。――良心の疚しさにとりつかれたこの人間は、その自己呵責を凄絶な酷烈さと峻厳さの極みまで押しつめるために、宗教的前提をば我が物としたのである。神にたいする負い目(罪責)、この思想が人間にとっての拷問具となる。