SonofSamlawのブログ

うひょひょ

死刑と残忍性 その2-1

ニーチェの「道徳の系譜」の第二論文の解説と主要なところを抜粋版として引用します。


「残忍性」についての話として面白いです。

刑罰の起源の話としても面白いですよ。

【解説】
それでは、人間の残忍性についての考察があるニーチェの「道徳の系譜」の第二論文ニーチェ道徳の系譜」(信太正三訳,、筑摩書房)から、関連部分を引用することでこの章を終えることにする。この高度で高貴な論文は要約を許さない。だから関連部分を全て引用する。この中で彼は、刑罰の効能について「それは、苦悩させることが最高度の快感を与えるからであり、被害者がその損害さらには損害からくる不快と引き替えに異常な悦楽を手に入れるからである」と言っている。ニーチェは「この人を見よ」の中で、この第二論文について次のように解説している。前出のニーチェ道徳の系譜」(信太正三訳)の解説から引用する。

 【引用】

 第二論文は良心の心理学を展示する。良心なるものは、普通信じられているように《人間の内の神の声》ではない、――もはや外部に向かって発散できなくなって、向きを逆にするようになった残忍の本能である。最も古い、絶対に無視できない文化地盤の一つとしての残忍性が、ここにはじめて明るみにだされたのだ。

【解説】 

この難解な論文のあらすじは次のようになると思う。まず刑罰が先史時代では、我々の残忍性から起こったものであることが説明される。つまりそれは、相手から受けた損害による不快を中和するためにその相手を苦悩させる、あるいは相手を苦悩させるという快感を得るだけのために行われたものであることが詳細に述べられ、我々の残忍性という本能を確認している。相手を苦悩させることは、我々にとって価値あるものなのであり、損害は、相手を苦悩させるという等価物により埋め合せができるのである。残忍性、つまり「他人(自分であることもある)を苦悩させることは、最高度の快感を与える」というこの本文中のショッキングな文章は、サディズムマゾヒズム)というものがなんら異常なものではなく、太古から我々誰もがもつ本能であることを示している。そして、それが抑制される時代になると、つまり国家などに監視され、むやみに他人を虐待できない時代になると、その本能は自分自身を虐待する――マゾヒズムもこの一種であろう――というはけ口を見つけるようになった。これが《良心の疚しさ》であるとされる。この最後の部分が第二論文の有名なところであり、解説書などではこのことしか説明されていないことが多い。つまり、ここで重要視している刑罰の起源と人間の残忍性との関係についての紹介は省かれていることが多い。ニーチェによれば、キリスト教では人間のあらゆる本来健康的な攻撃的本能が否定され、抑制される。そしてこれら行く場を失った残忍性という本能は、ついに「自分自身へと向かう」と言っているのである。自分自身の虐待による我々の攻撃的欲求の鎮静化、不快の中和、これはあらゆる宗教に共通するところではないだろうか。ニーチェは、キリスト教をひとつの人間の病気として非難しているのである。余談ながらイスラム教徒(ムスリム)においては、この不快の中和が「テロ(テロル)」という方向において達成されているのではないかと思われる。

この難解な文において、読んでわからない箇所はどんどんとばして進んでいただきたい。そこで引っかかっているとそれで終わってしまう。そして、数回通読していただきたい。それにより大要がわかるであろう。この哲学史上重要な論文は、そんな労力を払う値打ちのあるものなのである。それでは引用を開始することにする。

 
道徳の系譜2論文抜粋引用】
 おそらく、人間の先史時代の全体を通じて、人間の記憶術ほど怖るべく不気味なものは一つとしてなかったかもしれない。「何かを焼きつけるというのは、これを記憶に残すためである。苦痛を与えてやまないものだけが記憶に残る」――これこそが、地上における最古の(遺憾ながらもっとも長きにわたる)心理学の根本命題なのである。今日なお地上において、人間や民族の生活のうちに荘厳、厳粛、秘密、暗鬱な色合いなどがあるところではどこにでも、かつて地上いたるところで約束や抵当や誓約につきものだった恐怖の何ほどかが影響を残している、とさえ言ってよいであろう。過去が、もっとも長い・もっとも深い・もっとも酷い過去が、われわれの《厳粛》になるそのときにわれわれに息を吹きつけ、われわれの胸臆に湧きあがってくるのだ。人間が自己に記憶を刻みつけることを必要とした場合、かつて一度とて血、拷問、犠牲なしにすんだためしはない。まったく身の毛もよだつ犠牲と抵当(初児供犠もその一つ)、もっとも厭うべき身体切断(たとえば去勢)、あらゆる宗教的祭儀の残忍きわまる礼式(すべての宗教はそのもっとも深い根底において残忍の体系である)――これらすべては、苦痛こそが記憶術のもっとも有力な手段であることを嗅ぎつけたあの本能から生まれたものである。

 

人類が《記憶にとどめた》ものが悪ければわるいほど、それだけますますその習慣の光景は恐るべきものとなる。なかでもとくに刑法の峻酷さは、人類が健忘に打ち勝つために、また社会的共同生活の若干の原始的必要事項を情動や欲望の刹那的奴隷になる者たちの記憶にとどめさせておくために、どれほどの労苦をはらったかということを知る上の、一つの標尺となる。

 

このドイツ人らは、おのれの賤民的な根本本能とそれによる野獣的な蛮行とを制圧するために、怖るべき手段を持って自分の身に記憶を刻みつけることをやった。こころみに古いドイツの刑罰を考えてみるがよい。たとえば、石打の刑(――すでに伝説にもなっているごとく、石臼が罪人の頭上に落とされる)、車裂きの刑(刑罰の領域におけるドイツ的天才の独特無比の発明であり、お家芸である!)、杭で刺しぬく刑、馬で引き裂いたり踏み潰したりする刑(「四つ裂き」の刑)、油や酒で犯罪人を煮る刑(十四・五世紀にもなお行なわれていた)、人気のあった皮剥ぎの刑、胸から肉を削ぎとる刑、それにまた犯罪者に蜜をぬりたくって炎天の下で蠅(ハエ)にたからせる刑、などを考えてみるがよい。このような光景や先例を見せつけられたことによって、ついに人々は、社会生活の利益を享受していきるために約束してきていたことどもに関して、五つか六つの「わたしはそれを欲しない」ということをば記憶に刻むようになるのである。――そして事実! この種の記憶のおかげで人はついに《理性に》達したのだ!――ああ、理性とか、真摯とか、情動の制御とか、一般に省察と呼ばれているこの暗鬱な事柄の全体、こうした人間の特権と飾り物のすべて、これらはいかに高価に支払われたことか! あらゆる《よき事物》の根底には、いかに多量の血と戦慄があることか!

 

刑罰が、一つの報復として、意思の自由とか不自由とかに関するいかなる前提とも全く無関係に発展したものだということを、おぼろげなりと夢想したことがあるだろうか?――事実は、反対にむしろ、《人間》という動物が、《故意》とか《過失》とか《偶然》とか《引責能力》とかいったあのはなはだ素朴な区別とその反対物とをつくり、これを刑の量定に際して考慮に入れはじめるようになるには、まずもって高度の人間化の段階を必要とするほどだったのだ。今日ではいとも安直なものとされる、見たところきわめて自然な、どうにも避けがたいあの思想、そもそも正義感はいかにして地上にあらわれたかという問題の説明役をもつとめねばならないほどのあの思想、つまり「犯罪者は刑罰に値する、なぜなら彼は別の行動をもとりえたはずだから」というあの思想は、実のところ、はるかに後になって達成された、いとも巧妙な、人間の判断と推理の一形式なのだ。これをば最初からあったものだとする者は、古代人類の心理にがさつな手つきで暴行を加えるものだ。人類史のきわめて長い期間にわたって、悪行の主犯者にその行為の責任を負わせるという理由で刑罰が加えられたことは全然なかったし、したがって有罪者だけが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰がなされたこともなかった。――むしろ刑罰は、現在でもなお親が子を罰するのと同じように、加害者に向けてぶちまけられる被害についての怒りからして、なされたのである。――しかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにその代償となるべき等価物があり、したがってそれは、加害者に苦痛を与えることによってであろうと、実際に賠償されうるものだという観念によって制限され加減された。――この至って古い、深く根をはった、おそらく今日ではもはや根絶しがたい観念、損害と苦痛とは等価であるというこの観念は、どこからその力を得てきたのであろうか? その秘密はすでに私の洩らしたところだが、つまりその力の出所は債権者と債務者との契約関係のうちにある。この契約関係は、総じて《権利主体》というものの存在と同じく古いものであり、そしてこの契約関係それ自体がまた売買、交換、交易などの根本形式に還元されるのである。

 

このような契約関係をありありと念頭に思い浮かべるとき、もちろん、すでに述べたところからもただちに予想されるところだが、そうした関係を創りだすとか承認するとかした古代人類にたいしさまざまの疑念や抵抗を覚えさせられる。が、ほかならぬこの関係においてこそ約束がなされるのである。まさにここでこそ約束をする人間に記憶を植えつけることが問題となる。あえて邪推するなら、ここにこそ冷酷、残忍、痛苦といったものの産地があるのかもしれない。債務者はその返済の約束にたいする信用を得るために、またその約束の厳粛と神聖にたいする保証を与えるために、さらにまたおのれ自身では返済を義務や債務として自己の良心に刻みつけるために、債権者との契約に従って、万一にも返済しない場合の代償物として、なおまだ自分の《所有》にかかる何かほかのものを、なおまだ自分の権限内にぞくする何か他のものを債権者のもとに抵当にいれる。その抵当物は、たとえば自分の肉体でもあれば、自分の妻でもあれば、自分の自由や自分の生命でもある(あるいは、一定の宗教的前提のあるところでは、自分の浄福や自分の霊魂の救いでさえも、とどのつまりは墓の中の安息までが抵当とされるのである。たとえばエジプトではそうであったから、そこでは債務者の屍は墓の中にあってさえも債権者の前に休安を得ることができなかった。――たしかにエジプト人にとっても、この休安が大切なものであったのはいうまでもない)。しかも、とりわけ債権者は、債務者の肉体にあらゆる種類の凌辱や拷問を加えることができた。たとえば、負債の額に相当するとおもわれるだけのものを、債務者の肉体から切りとることができたのだ。――こうして、古来いたるところにおいて、この見地からする精密な、ときには恐ろしいほど微に入り細に入った肢体諸部の一つ一つにたいする価格査定が、合法的な価格査定がおこなわれた。ローマの一二銅表律は、このような場合債権者が切りとる分量の多少は問うところでない(「より多く、またはより少なく切りとるとも、不法の搾取とはならず」と布告したが、私にはこれはすでに、より自由な、より大まかな、すぐれてローマ的な法律の証左であり、進歩であると思われる)。この賠償形式全体の論理を説明してみれば、それはまことに奇異なものなのである。すなわち、この場合等価(報償)は次のようにして成立する、――債権者は、直接的な利益の取得によって損害を埋め合わせるかわりに(つまり金銭や土地やその他なんらかの所有物を賠償にとるかわりに)、一種の快感を返済もしくは賠償として味わうことが許容される。――この快感とは、おのれの権力を無力な者の上に遠慮会釈なく振るうことができるという快感でもあれば、「悪をなす楽しみのために悪をなす」という悦楽でもあれば、暴行を加えるということの享楽でもある。こうした享楽は、債権者の社会的地位が低く卑賤であればあるほど、いよいよ高く評価され、そしてややもすればこれが彼には結構このうえない珍味佳肴(ちんみかこう)、いな、高級な身分というものの前味のようにさえおもわれた。債務者に《刑罰》を加えることによって債権者は、主宰権というものに参与する。かくてついには彼もまた、他の者を《目下》として軽蔑し虐待することができるという優越感を、――あるいはすくなくとも、実際の刑罰権、行刑権限がすでに《官憲》の手に移っている場合には、他の者が軽蔑され、虐待されるのを見るという優越感を、いだくことができるようになる。要するに、賠償の実体は、残忍の行為を指図し要求する権利をもつというところにあることになる。

 

死刑と残忍性 その2-2に続く